阿蘇の隠れ里へ地熱利用の焼き米を求めて@─岳の湯編1
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作成日時 : 2008/09/18 07:42
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八十八通りのご飯物や米の加工品から米なくして成り立たない日本の食文化を考えた「米ぢから八十八話」(家の光協会)という本を書いたことがある。そのとき、八十八という区切りのせいで(米にまつわるストーリーは八百八話にしても足りない!)収録できなかったすばらしい米ものの筆頭に焼き米がある。
焼き米は、山里で大切に作られてきた保存食。また、軽井沢・追分宿の中山道69次資料館には焼き米を商う宿場町の茶店を描いた絵が展示されており、江戸時代は焼き米が携行食として普及していたことがわかる。
こんな焼き米の現代版を食べてみたいと思っていたところに、グッドタイミングで友人から土産が届いた。九州・阿蘇の隠れ里で見つけ、買ってきてくれたのだ。ビールのミニ缶サイズのアルミ容器入り。さっそく開けると、ライスフレークといった感じの焼き米が詰まっていた。
掌にとると、さらさらしていて、一粒ずつがベージュ色の偏平な小判形になっており、極薄極小の薄焼き煎餅のよう。脱穀した玄米を蒸し、プレスしてから、鉄釜で炒ってあるらしい。前述の69次資料館に参考品として飾られていた、もみ殻付きのまま鉄釜で炒った焼き米とはまったく違う作り方だ。資料館のものは、広島の山間部で町起こしの一環として復元された焼き米だったから、地方により製法はさまざまなのだろう。
缶の説明ラベルにはこう書かれていた。
「一家に一缶安心家族。玄米をアルファ化した焼米は山里の常備食です。熱湯を注ぎ焼米がゆに。少量をよく噛むと満足度の高いおやつになります。(原文のママ)」
原料は大分県産ひのひかりの玄米で、小袋入りのてんさい糖添え。甘味が欲しい人向けだろうが、普通の白砂糖や粉砂糖ではなく、てんさい糖というところに作り手の思い入れが感じられる。製造者名は食工房地蔵原とあり、所在地は大分県玖珠郡九重町地蔵原。
すぐに試した。やかんでちんちん煮立たせた湯をかけると、米はしゅわしゅわしゅっと水分を吸い込んでいく。もういいだろう。待ちきれない思いで一匙、口へ。初めての味だ。柔らかくはなっているが、芯にしこりのようなものがある。かといってそれが不快ではなく、その反対。噛んでいるうちに、もっちりしたたかな食感が心地よくなってきた。ご飯のお焦げとはまた違う、黄金色に色づいた田んぼを具現化したような香ばしさが喉から胃へ下りていくのもうれしい。
缶に同封されていた小袋のてんさい糖をふりかけると、甘味が増して、一挙にデザート感覚に。疲労困憊で何か食べなきゃ元気がでないのに、食欲がないというようなときでも、これなら喉をなめらかに通りそうだ。
また、乾いたままのフレーク状ではどうかというと、噛むうちに唾液で湿ってきて、米としての存在感がぐんぐん高まり、一つまみをぱらっと口に入れたら、半時間は楽しめそう。
たちまち、わたしは現地に出かけたくなった。所在地の九重町といえば、阿蘇の外輪山に広がるたくさんの隠れ湯のあるところ。この焼き米のなんともいえないすっきりした後口のよさは、もしかすると温泉に由来するのかもしれない……。ここまできて、あらためて缶をしげしげ眺めたら、さっき読んだのと反対側にもラベルが貼ってあって、「温泉地熱食品」とある。やっぱり、美味の秘密は温泉だったのだ。
食工房のある地蔵原へは、別府→由布院経由という温泉好きにはたまらないルートで向かった。食工房の山口怜子社長と由布院で落ち合い、工房へ案内してもらうことになったのだ。焼き米を知って以来、交流を始め、東京で挨拶する機会が一度はあったものの、現地訪問は今回が初めて。それなのに、由布院で再会したとたん、山口さんのあったかみのある人柄にすっかり魅せられてしまい、話が弾みに弾んで、ようやく九重町へ向かうことになったのは、由布院の灯も消えようとする午後11時のこと。
由布院から1時間。時計が零時を回った頃、着いたところは大分と熊本との県境にある地熱が湧きだす隠れ里だった。助手席で居眠りしていたわたしが、はっと目を覚ましたときには、寝静まった集落に着いていた。
空き地に停車すると、山口さんは「ねっねっ、あそこ、見て!」と、開けた窓の向うを指差した。
その方向に目をやると、むくむくもやもやと白い霧が湧き出ている。地熱の湯気だ。そして、頭上の夜空には星が輝いている。
「どの家でも牛を飼っているのよ」と、山口さん。
人と牛が一緒に眠る家々を星が明るく照らし、その家々の周囲には綿菓子のような白い湯気がいくつもいくつも湧き出している。まるでシャガールの絵のように幻想的な光景であった。(この項来週つづく)
秋の夜や地熱荒ぶる隠れ里
千恵子
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