箱根・小田原、清爽街道の旅──箱根編
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作成日時 : 2008/09/04 08:26
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どの土地にも人々の心の拠りどころとなる山がある。青森なら岩木山、盛岡なら岩手山であろう。青森の友人が、山に向かって「おいわきさん、ありがとう」と唱え、手を合わせて拝む姿を見たときは、じーんとなったものだ。日本の農耕儀礼は、春に山から下りてきた神様を迎え、秋の実りのあと山へ戻る神様を見送るという信仰が土台になっている。古代人の敬虔な心は、遺伝子となって、朝な夕なに山を望む環境の人たちに伝わっているに違いない。
ひるがえって、東京の山を考えると、空気の澄んだ元旦にくっきり見えるのは確かだけど、ふだんは高層ビルから眺めるしかない。いちばん目立つ富士山は、日本人全体の心のよりどころでもあるから、東京からの眺めだけを言うのは口はばったい。
もちろん、東京都内には高尾山や御岳山というポピュラーながらも伝統的な霊山があるし、エリアを首都圏に広げると、筑波山や丹沢の大山もあるが、わたしは、いえ、代々の東京人はやっぱり箱根山に最初の指を折るのではないだろうか。
箱根は信仰の山であり、温泉がある憩いの地でもあるし、なにより「箱根の山は天下の険♪」という唱歌の一節が頭に刷り込まれている。箱根の関所も連想する。地形的にも歴史的にも、関東と東海・近畿は箱根で区切られていたという共通認識がある。
その箱根へしばらくぶりで出かけてきた。浜美枝さんから箱根湖畔の自宅で藍染めの布展をひらくので──というご案内をいただいたのである。
浜邸は古民家をモダンに再生したすばらしい住宅。十代から日本の民芸にめざめ、ほんとに美しいものだけを求めて旅を続け、やがて出会ったものの一つが民家だったのだ。ほんものの器や民具類が手元に集まってきたとき、その置き場所にふさわしいのは古民家しかないと思い至ったのかもしれない。
高度経済成長時代は、木なんぞでつくるよりコンクリートの家がいいとされ、古い家は目の敵のようにして壊されていた。木ほど美しい造形はなく、手入れしてさえやれば半永久的に長持ちする建物だというのに……。
そんななか、浜さんは、日本から消滅しかけた建物を移築し、“浜スタイル”の家を完成させたのだ。合わせて12軒もの民家の古材から1軒にリプロダクトさせたというのだから、すばらしいし、なんとも楽しい。
とっくにお気づきだとは思うが、浜さんとはボンド・ガールとして知られる女優の浜美枝さんのこと。いつまでも007ばかり覚えているわたしの頭は、けっこう古いのか、それともただ丈夫なだけなのか……。
浜さんは、ずっと以前から日本の農、とくに農村女性の働く現場と地域貢献を知る第一人者であり、農政ジャーナリストとしても活躍されている。いわば、農村女性の応援団長なのだ。
新宿からロマンスカーで箱根湯本へ。乗ってさえしまえば箱根まではあっという間だが、ひまがなくてなかなか乗れない電車である。ただし、乗るととたんにくつろげる電車でもある。浜さん、お招きありがとうございます。
湯本からはバスで塔の沢、宮ノ下、小涌谷と上り、浜邸のある箱根町に向かった。途中の眺めは子供の頃とほとんど変わっていない。少女のわたしの脇には祖父母や両親、弟たちがいる……。箱根は東京人にはもっとも身近な観光地であり、心のお山なのだ。
芦ノ湖畔から寄木細工の店の脇を入り、民家の横を抜け、旅館の裏側を眺めながら奥へ奥へと進むと、百合や野の花が咲く細道へ出た。観光地から一変して、田舎風景になる。その奥に浜邸の入り口があった。
この日の催しは、京都のギャルリー田澤のオーナー夫妻に、浜さんが自宅の空間を提供するという趣向である。三年めにあたる今年は、藍染め作家・福本潮子さんの布と西洋骨董との共演。
太い梁と白壁がつくる大きな空間に、藍染めのタピストリーが軽やかにいくつも吊るされている。異空間といえばそうだけど、なんだかやさしい気持ちになれる。テーブルには藍染めのクロスを敷き、清楚でいて鋭いカットをきらめかせたグラスや皿をセッティングしてある。
藍染めの布は麻、ビロードと素材さまざま、色の濃淡もいろいろなので、何十枚も展示されているのに、室内には静謐な涼気が満ちている。爽やかな箱根の空気が、この空間の魅力を増しているのはもちろんである。
五感をすっかりくつろがせているうちに、お腹がすいてきた。うれしいことに、浜さんがいつも召し上がっている昼食献立が用意されていた。
夏野菜を煮込んだカレー。箱根メイドのソーセージとテリーヌ。どちらも自己主張しすぎない、やさしいおいしさが印象的だった。食後は、西伊豆・松崎で焙煎されたコーヒーでしめくくり。
ここまできて、やっと気づいた。この家も、今日の素敵な催しも、胃にすっとおさまった料理も、どれもが浜美枝という一人の女性の人生の成果そのものなのだ。そう、本物を求め、美を求めて、自分に誠実に歩んできた女性にだけ与えられる宝物なのである。(この項来週につづく)
緑さすシャンパングラスの細き脚
千恵子
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