若狭・三方五湖畔の向笠へ梅もぎ、梅仕事
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作成日時 : 2008/07/17 08:27
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若狭とはご縁が深い。小浜市の御食国大使(みけつくにたいし)という名の観光大使をしているし、さば街道の取材でも何度か訪ねた。それでわかったのは、若狭はかつて文明の最先端の地だったこと。日本海をはさんで大陸と至近なため、中世までは海外からのものの多くは最初に若狭に入ってきたのである。
また、若狭は御食国(みけつくに)と呼ばれるとおり、日本海の海の幸と里の恵みに恵まれた地域で、昔からおいしい食べものを都の寺社や貴族のもとへ運んでいた。当然、寺社や貴族のもつ荘園も多かった。わたしの姓とまったく同じ名の「向笠(むかさ)の厨」という伊勢神宮の荘園まであり、米や野菜を伊勢神宮へ届けていたこともわかった。
まだ見ぬふるさとのような気がして、とうとう若狭の向笠へ行ってきた。正確には若狭町の向笠地区で、風光明媚な三方五湖の近く。この名所は、五つの湖の水質が淡水、海水、汽水とさまざまなのに、すべて日本海とつながっているという不思議なところである。
でも、今回の目的は梅。和歌山の梅ばかりがビッグネームだが、実は福井県にもいい梅があって、主産地は三方五湖周辺。栽培は江戸時代の天保年間から始まったという。梅の歴史には五湖の一つ、三方湖のほとりの旧西田村伊良積(現若狭町海山)の平太夫、助太夫という二人の農家がかかわっている。
こんなストーリーだ。二軒の梅はそれぞれ平太夫梅、助太夫梅と呼ばれ、北陸としては温暖なこの地の気候が合っていたこともあり、代々受け継がれるほどの名木に育った。観賞よりは実をとることが第一の実梅である。
明治になると、郷土の名産品をグレードアップしようと、ライバルだった二種を交配し、種が小さくて皮が薄く、果肉たっぷりの梅干し向きの「紅映(べにさし)」という品種をつくったり、助太夫梅を爽やかな風味で梅酒向きの「剣先(けんさき)」種に改良したりした。紅映は名前どおりに青緑の肌にほんのり紅が挿した美しい実。一方、剣先は実の先端が尖っているので、剣先とは言い得て妙な命名。やがて、どちらも「西田梅」(のちに福井梅と改名)として大いに出荷されるようになった。
その後も梅の評判は順調で、昭和三十年代後半からのホームメイド梅酒ブームにのってますます増産し、大相撲優勝力士に賞品として授与されるまでになる。だが頂点はそこまで。近年は中国産に押されているうえ、高齢と後継者不足を理由に梅樹を伐採する農家も出てきた……。
向笠地区の中西光雄さんも人手に困っていた一人。梅酒は青いうち、梅干用は熟して黄ばんだときが収穫の適期で、急いで収穫し選別して出荷作業にかからねばならない。しかし、子供たちが家を離れ、老夫婦二人で暮らしている中西さんには梅もぎの体力、気力がもうなかった。悩んだあげくに、娘の勤務先の社長に梅もぎの助っ人を頼み込んだのである。
引き受けたのは、同じ福井県内とはいえ若狭町から車で二時間弱も離れた坂井市で油揚げの製造販売業を営む谷口誠さん。谷口さんは「愛プロジェクト」というチームを組んで仲間と地域おこしをするなど郷土愛がひとしお強い方だ。すぐに中西さんの願いに反応し、梅の収穫お手伝いを計画する一方で、中西さんの奥さんが漬けた梅干しを自社で販売するようになった。
その谷口さんに、わたしはこの連載でも以前にふれた「こめみそしょうゆアカデミー」(通称こみしょう)の越前ツアーで知り合った。そして今年は、こみしょうの事務局長をつとめる堀田正子さんの肝入りで、谷口さんら愛プロジェクトと共催する梅もぎツアーが実現し、仲間といっしょに参加してきたところなのである。
わたしたちが泊まったのは、西田梅ゆかりの旧西田村伊良積(現若狭町海山)の湖上館パムコ。食堂のテラスが水月湖に張り出していて、居ながらにして湖上気分が恣(ほしいまま)。梅農家兼業の旅館が息子さんのUターンを機に建て替えたものらしい。梅エキス入り梅風呂や梅風味の地ビールを開発したり、カヤックツアーなどのエコツーリズムを推進するなど、息子さんもとても意欲的だ。
料理もよかった。いか、飛び魚、甘海老などの刺身、あじの塩焼き、かれいの唐揚げがおいしかった。海幸の生きのよさはもちろん、お母さん特製のずいきと玉ねぎの和えもの、つるし柿とかぶの和えものなどの郷土おかずもうれしい心づかい。なお、朝食に出た自家製梅干しは、食べやすい薄皮の紅映種であった。
食事前に地元の方々から聞いた話もよかった。昔は交通手段は舟しかなく、梅のこやしにする下肥を小舟で汲みに行っては、こやしにまみれて帰路につく日々だったという。半世紀前のこの地域の農家は多かれ少なかれそんな労働をしていたのである。今、そうまでして丹精した樹を切るのはどんなにつらかろう……。
翌朝、起き抜けに湖畔を歩くと、人の気配もない湖面に対岸の山並みが映り、東山魁夷画伯好みの光景だった。でも、そこはわたしのこと、すぐに別のシーンを見つけて目が点になった。湖畔の作業小屋で、老夫婦が梅の実をごろごろと台に広げて選別していたのだ。梅のお尻がぽっと紅色になっているから紅映種の梅だろう。見ているだけで梅シロップの爽快味を思いだし、喉を鳴らしてしまった。わたしは典型的な条件反射人間なのである。
いよいよ向笠へ向かう。地縁関係がないとはいえ、自分の名をかいた道標を見るのはくすぐったいものだ。渋谷さんという人が渋谷駅を通り、上野氏が上野駅から乗車するときの気持ちがよくわかった。
向笠は三方湖畔の東にある百軒ほどの意外に大きな集落で、初夏の陽差しを浴びて幸福そうに静まりかえっていた。わが名のついた土地がさみしそうだったら困るなあと、実は心配していたのだ。
さらによかったのは、梅農家の中西光雄さんと奥さんの艶子さんがのどかな表情をたたえていたこと。もちろん、苦労を乗り越えてきた結果の明るさなのだろうけれど……。しみじみした気分になって、中西さんの梅畑へ歩きだしたら、新たな明るさに出会った。
「どこから来たの」と、標準語で女性が話しかけてきたので、あれっ、どうしてこんなところでときょろきょろしたら、道路のすぐ脇の梅畑の女性だった。隣の梅の樹には梯子をかけてお母さんらしき方が梅をもいでいる。去年に比べると今年の向笠の梅は不作と聞いていたのだが、彼女たちの梅の樹には大きな実があそこにもこちらにもなっていた。
声をかけてきた女性は五十嵐礼子さん。向笠出身で実家の梅もぎを手伝うために横浜から帰省中とのことだった。道理で都会風なのだ。話しているうちにわかったのだが、近いうちに夫を伴って実家にUターンし、梅栽培と梅干しづくりなどで第二の人生プランを計画中らしい。頼もしい話だ。彼女からは梅干しまでいただき、再会を約束した。
中西さんは昨年、梅づくりをあきらめて一部の樹を切り倒し、残した樹は手入れせずじまいだった。ということで、われら梅収穫お手伝い団が入った畑はまったくの無農薬栽培だった。
真新しい手拭いをかぶり、軍手をはめ、日焼け止めクリームを塗ったにわか農家の面々は、背伸びしたり、梯子にのぼったりして梅をもぎ始めた。そんなメンバーから離れ、わたしは中西さんともう一つの山の畑へ向かった。三方五湖を見下ろす高台にある畑は梅の本数も少なく、手入れもほとんどされていない。それなのに梅はしっかり実っていた。けなげの一語である。紅映、次は剣先の梅をもがせていただいた。
その日、メンバーがもいだ梅はただちに中西さん宅で水洗いし、へたをとり、味噌と砂糖を混ぜ込んで梅味噌にしたり、愛プロジェクトの一員・久保田酒造のお酒で梅酒を仕込んだりと、一日中楽しい労働をこなした。
そのうちの梅味噌と梅酒が一本ずつ、わが家にある。梅味噌は梅がぶくぶくと音を放つ発酵期はすんだが、それでも毎日空気を抜いてやらないとびんの蓋が吹き飛ばされそう。梅酒ができるのはまだまだ先だけど、梅味噌のほうはディップにして生野菜に付けたり、炒めものに加えて、向笠の思い出とともに楽しんでいる。梅の魅力は、梅もぎから始まる……と、ささやかな実感に包まれた日々なのである。
若狭なる五つの湖や梅熟るる
人けなき湖を見下ろし梅実る
千恵子
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