信州望月の職人館で食養そば料理を味わう
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作成日時 : 2008/06/19 08:04
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大きな駅から離れ、高速のインターから遠ざかるにつれ、もともとの日本の風景が顔をのぞかせはじめる。長野県佐久市春日(旧北佐久郡望月町春日)もそんな“ふるさと”のひとつ。ざっといえば、浅間山と蓼科山の真ん中あたりの八ヶ岳北麓に位置し、中山道の名残りを伝える望月宿や茂田井宿の南にある隠れ里である。
このあたりは、なだらかな里山に囲まれた1〜2キロ四方ほどの小さな盆地で、田んぼのなかに集落のかたまりが点在している。そんななんでもない風景を、それも初めて見たのになつかしく思えるようだったら、あなたの心は相当に疲れているはずだ。
わたしも初めて訪れたときは、あっと息をのみ、やがて気持ちがくつろぎ、体がほぐれてきた。おかげで、そばはうまいが主人はちょっと偏屈という噂の店を訪ねる緊張感がすっかり飛んでしまったものだ。
そば屋「職人館」は白壁が美しい民家で、ご主人の北沢正和さんの手で、和洋がほどよく折衷した造りに仕立て直されている。
名前が「職人館」だからといって、主人がそば専門の職人というわけではない。北沢さんはもともと地元の役場につとめていた方で、職人という仕事に興味をもって以来、食べものから陶芸に至るまでいろいろな職人を訪ねるようになった。そして、職人という言葉が職業だけでなく、生きかたそのものであることに気付き、自分自身をその世界に置いてみることにしたのである。40歳をすぎたばかりの17年前のことである。
それで、ふるさとでそば屋を開いた。そばは地粉、つゆも醤油は地元産である。店から見える範囲内の地域でとれる材料を使うというのが、北沢さんの人生のテーマだったのだ。
だから、野菜についても望月や春日でとれた無農薬野菜に限っている。わたしが今年行ったのは5月のなかばで、ちょうどグリーンアスパラが旬。さっとゆでて、「職人館」特製のギンバソウ入りの塩をふっただけで、かりかりっと十二分においしかった。
ギンバソウとは海藻で、新潟県笹川流れの海水と一緒に釜で炊くと、自然塩と調和したうま味と丸みが出る。たとえてみれば黒糖のような茶色になるのが特徴。職人館の品は、北沢さんの肝入りで塩職人・小林久さんがつくった絶品である。
さて、地元ではそんなにおいしい野菜がとれるのだけれど、「どんな野菜だって、山菜にはかなわない。うん、これを食べてみて」
と、北沢さんが目をきらきら輝かせながら出してくれたのは、ナルコユリと根曲がり竹。どちらもかるくゆでて、ぱらりと塩がふってある。こちらはフィリピンで友人が見つけてきたもの。現地の塩職人が海水からつくった天日塩だそうだ。
ナルコユリは鳥おどしに使う鳴子のような形の花がつくユリで、お皿にのっているのは新芽の茎。アスパラそっくりの姿だが、はかまがなくてつるりとしている。でも、アスパラより肌理が詰んだ感じで、美しさのなかに野太さも秘めている。がぶりとやると、ほのかな香りと爽やかな歯ごたえ。ちょっとぬるりとしたなかに、野菜を超えたしっかりしたうま味があった。
根曲がり竹は、竹そのもののようなからりとした歯ごたえで、歯にあたるとぽきんと折れる。土の香りがいい感じで、そば焼酎のそば湯割りとよく合った。
どちらも山菜の珍味であり逸品である。その日の朝、旅から戻る途中に北沢さんが新潟の山でとってきたものとか。こんな飛び入り食材がときに加わるのも北沢料理の楽しさの一つなのだろう。
次は、ゆでた山菜と野菜の盛り合わせ。ミヤマイラクサにはビーツ入りの豆腐ソース、アスパラには卵ソース、ぎぼしには玉ねぎソースがかかっている。いずれもオリーブ油をベースにしたドレッシングだが、風味の差がくっきり出ていて楽しい。また、赤かぶには地元の味噌が添えてあった。
どの山菜も野菜も新鮮だから、形がきりっと締まり、葉や茎に力がある。もちろん味も濃いから、アクセントの効いたドレッシングとおたがいに引き立てあっているようだ。
ほかに印象に残ったのは、お通しの茹で大豆と、続いて出たみまき豆腐。お通しの大豆は地元の農家やおばあちゃんが育てたもので、豆腐は北御牧村の大豆でつくってあり、香りが豊か。豆腐はギンバソウの塩と海水天日塩の二種添え。そばサラダは、洋野菜をたっぷり盛り合わせ、そばをパスタ風にあしらった新発想料理。さまざまなトーンの緑が目にまぶしく、オリーブ油が香り立っていた。
サラダにそばが入っていたので、そろそろ締めのそばタイムにしたくなった。
やがて登場したそばは、黒っぽい十割石臼挽きそばと白い御前そばの合わせ盛り。みずみずしいふきの葉の上にやや小盛りにしてあった。つゆは超辛口。かつお節の香りがうまく抑えられている。
さっとそばをくぐらせて、ずずずっ。あっというまにのどをとおっていく。コシがあって、香りはほどほど。主張しすぎないそばだから、口にも鼻にも心地よい。──わざわざ来るだけの価値はある。
山菜も野菜もそばもどうしてこんなにうまいのだろうか。どれにも共通している“水”に秘密があるような気がする。
北沢さんによると、この一帯は蓼科山の水系に属し、千曲川の向こう側より水がやわらかいそうだ。実際、「職人館」の井戸水はpH7.4 と限りなく中性に近い。素材を洗うときゆでるときにもこの中性水をくぐらせるわけだから、水が出しゃばらずに素材の持ち味が生きやすいのではないだろうか。そばを打つときの水の大切さについては言うまでもあるまい。
なお、献立表には野菜料理がいろいろあるが、材料の調達は季節次第・天気次第だから、メニューは北沢さんにまかせるぞ! という姿勢で出かけたほうが気が楽だと思う。
ごちそうさま。すっかり満足して二階に上がってみると、そこは展示室になっていた。北沢さんの仲間の陶芸家の食器や、東南アジアの少数民族の布などが、さりげなく置いてある。階下のそば屋の女将さんにして、草木染とホームスパン作家の北沢さんの奥さん、啓子さんの作品もある。
いずれも民芸らしい「用の美」──ざっくり言えば“使ってなんぼ”の実用品ばかり。つまり、ふだん使いに適した職人仕事の品ということだ。そういえば、料理に使われていた器も職人らしい地味であたたかい品格のものばかりだった。
それに、そばも野菜料理も、そば屋のそば職人という域を超えた、「食の職人」ならではの大きな仕事であった。北沢さんはそばから始めて、食べ物すべてに至った「食の職人」なのである。
そんな感想をつぶやきながら、ふと外を見ると、青田で稲の苗が揺れていた。
そうだ、農業も職人仕事のうちだった。それも当然だ。ここは職人の手業(てわざ)を集めた「職人館」なのである。そうだったのかあ、とわたしは日本の職人の元気ぶりに手を打った。
そば屋まで青田の畦や中山道
千恵子
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