棚田の里・新潟県高根へ味噌仕込みの旅
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作成日時 : 2008/05/08 07:45
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こめみそしょうゆアカデミー、略して「こみしょう」という活動をしている。米、味噌、醤油という伝統食材を手がかりに、日本の食を再確認しようという集まりで、生産者を招いてお話を聞くほか、自分たちで現地へ出かけてマチとムラの交流を実践している。これを「おでかけこみしょう」と称する。連載の越前冬の旅で紹介した福井の永平寺参禅体験や、坂井市の竹田の里で郷土料理を教わったのもそのツアーのひとつ。
先日は新潟県北部の高根へ、手前味噌を仕込みに出かけた。高根の大豆を使って、高根のコシヒカリの米麹と、海岸部の山北町の海水自然塩で仕込む──完全なる地産地消の味噌を目指したのだ。そしてもうひとつ、水も高根の山水を引いた水道を用いるという徹底ぶりである。
高根は、村上市と合併したものの、つい最近までは日本で二番目に広い村だった朝日村に属し、高根川に沿って民家が連なる集落である。東京からは上越新幹線で新潟まで行き、羽越本線で日本海沿いに村上まで北上し、車で山間部に向かう。あるいは東北新幹線の福島から米坂線に乗り換え、米沢経由で村上に入って、やはり車で高根に行く方法もある。どちらにしろ半日がかりの旅程で、そうそう気軽に出かけられる土地ではない。
だが、高根には一度知ると、はまってしまう魅力がある。朝日村のいちばん奥に位置し、冬は雪にうずもれる人口六百人の山里で、朝日連峰を仰ぐすばらしい自然もいいが、それより何よりうれししいのは、土地の人たちの人柄のよさ。
純朴なうえ、人見知りしないので、初めて来た都会人ともうちとけやすいのだ。城下町の村上に近いせいで、人付き合いが学習されてきたのだろう。もちろん、純山村らしいシャイな部分も残っている。会話の途中でわけもなく笑ったりするのがその一例。照れ隠しの笑いだと、わたしが気づいたのは、二度めの訪問の今回のときだった。
わけもなく笑う人とは、高根側の窓口をつとめる高根フロンティアクラブの鈴木信之さん。原色の青いジャージが似合うなかなかのハンサムで、東京からUターンしたのち、設計士業で生計を立てながら、ふるさと高根の活性化を楽しんでいる方である。信之さんには二人の兄貴分がいる。元高根村役場の職員で、現在は地元の天蓋山に建てたログハウスを拠点に晴耕雨飲の暮らしを満喫している遠山實さん。そして、高根の棚田でコシヒカリ栽培に打ち込んでいる遠山栄作さん。この三人が、「こみしょう」ツアーの世話人なのだ。
栄作さんの米は、棚田の山水を吸いこんで育つのと、米ぬか・菜種粕・貝化石を発酵させたボカシ肥料をたっぷりやり、薬も最低限にしているせいで、清らかなうまみに満ちている。味の評判は地元でも上々で、栄作さんに栽培を委託する地元農家が増えているらしい。高齢のため耕作ができなくなった家や兼業農家からの依頼である。そのため栄作さんはコシヒカリを十町歩もつくっている。働き者の奥さんに加えて、東京から戻ってきた息子のいる栄作さんは、高根の人にとっても頼もしい現役ばりばりの農家なのである。
さて、わたしたち「おでかけこみしょう」が最初に向かったのは「山のおいしさ学校」。廃校になった旧高根小学校の木造校舎を活用した、地域起こしの拠点である。教室は手打ちそばを出す農家レストラン「IRORI」や、どぶろくの醸造場(高根の人は“ぞうじょうぞう”と訛るため、看板の表記は高根造醸場)になっている。どぶろくの責任者が信之さんとわかると、参加メンバーはよだれをたらして喜んだ。そこで、信之さんが味噌仕込みの前にどぶろくの特別レクチャーすることになった。
どぶろくは昔から各地でつくられていたが、戦後は酒税法の強化で取り締まりがきびしくなった。しかし、小泉首相の時代に構造改革特別区が立法化され、突然、各地にどぶろく特区が誕生した。地方活性化のためなら醸造してもかまわないことになったのだ。
製法はごくシンプルで、ご飯に水、米麹、酵母を加えるだけ。数日でアルコール発酵して、とろりとした乳白色のどぶろくが出来上がる。当然、ここ高根では、原料の米には栄作さん一家のコシヒカリを使用する。また、村上の銘酒・大洋盛の田澤勝杜氏が醸造のアドバイバイザーをつとめているそうだから、ずいぶん贅沢などぶろくである。「雲上(くものうえ)」という名称だ。
と、説明してくれる信之さんも、その隣の實さんと栄作さんもにこにこ顔なのは、自分たちの土地の産物を見て、はるか東京からきたわたしたちが目を輝かせているからだ。どぶろくを仲立ちにして、試飲する前からすでにムラとマチは交流していたのである。そして最後に、新作の赤色清酒酵母で仕込んだピンクの「どぶろく雲上・山桜」を見せてもらい、全員が夜の試飲会への期待で胸をふるわせてしまった。
ようやく第一目的の味噌仕込みにとりかかった。といっても今日の作業は、大豆を洗うだけである。大豆は今晩一晩置いて水でふやかす。明日、大豆を煮てかからすりつぶし、塩、麹をまぶして、保存容器に詰めるところまでが、今回の仕込みの全工程。秋までこちらで管理してもらい、いいあんばいに発酵熟成した秋に、味噌を引き取りに来ようというプランなのである。
味噌の指導官は實さんで、「大豆は朝日村産アヤコガネだね」「米を研ぐみたいにごしごし洗うんだよ」「味噌さえあれば、食うものがなくなってもなんとか生きていける」等々と大声でつぶやきながら、ひょいひょいと作業をすすめていく。信之さんが助手役として大豆の袋を動かしたり、空袋を畳んだり。栄作さんはにこにこ見守るだけ。だんだんわかってきた。この三人にとっても、マチから来た人々との交流は楽しみなのだ。
作業はすんだが、夕暮れには時間がある。そこで山菜取りへ連れていってもらう。ちょうどふきのとうが出盛りだから、夕食の材料に追加しようということになったのだ。
ふきのとうは東北ではどこも「ばっけ」と呼ぶのだと思っていたが、實さんによると地元の物知りが調べたところ、微妙な違いがあることがわかったそうだ。朝日村では「ばっけァ」とか「ばんけァ」といい、近隣の岩船では「ばんけー」となる。また「ばんかい」と呼ぶところもあるそうだ。
田んぼ道や土手には、まだ雪があちこちに隠れていたが、ふきのとうもたくさん出ている。夢中になって摘んでいるうちに、気温が下がってきた。山里は朝晩の寒暖差が大きいのだ。
その晩の夕食は、道の駅や温泉、宿泊施設もある朝日村の「みどりの里・またぎの家」でとった。地元のおかあさんたちに郷土料理を教わりながら自分たちでつくって食べるというプログラムで、メニューのハイライトは「わさび」という名の具だくさんの煮物。
「ちょうど今しか食べられないの」と言う板垣昭子さん、板垣キサ子さんの二人がどさっと持ち出してきたのは、葉付きの天然わさび。これをまな板にのせ、包丁の柄で茎の部分をとんとんと叩いて繊維をほぐしてから、葉と茎をこまかく刻むのだ。根はすりおろすが、砂糖をちょんと付けてからおろすのがコツ。塩を付けてもいいとか。こうすると辛味が増すとのことだったが、いやいや、もう充分に辛い。鼻からわさびの辛味がズンズン侵入してくるし、眼からは涙がぽろぽろなのだから……。
一方、コンロでは煮物が出来上がっている。里芋、にんじん、焼き豆腐、しらたきをかつおと昆布のだしで煮て、しょうゆで味つけする。そこに、下ごしらえしたわさびをどさっと加える。軽く混ぜてわさびの辛味が行き渡ったら、それでもう完成。
前回、高根にきたときは「大海(だいかい)」という名の新潟名物ののっぺい風の煮物をごちそうになったが、この「わさび」は「大海」にわさびを加えたものといえそうだ。春先にわさびが清流に芽吹いてきたときだけの特別料理で、この季節に上棟式や婚礼があると必ずつくるそうだ。
とにかく、熱いうちにと、はふはふいただく。つんとした香りと辛味が、煮物をまったく別の風味に変身させている。さらっと爽やかで、さっぱりしている。なお、冷えたら冷えたでまたいける味になるそうだ。
夕食には、この「わさび」のほか、ふきのとうのてんぷら、たらの芽や山うどの白和え、イワナの炭火焼きなどがならんだ。デザートには大根のグラッセも出た。高根は大根がおいしいそうで、スライスを砂糖で煮詰めてから乾かすだけでカリスマパティシェに負けないおいしさの野菜スイーツが出来てしまうのだ。そして、どぶろくで乾杯したあとは、大洋盛の生しぼりをさしつさされつとなった。田澤杜氏や、山北町で健康な鶏でおいしい卵をつくっている養鶏農家・富樫直樹さんも参加しての大宴会である。
翌日、味噌の仕込みは順調に完了した。
ふきのとうをのせた味噌味のピザ、手打ちそばで昼食をとった後、天蓋高原の實さんのログハウスまでスノーモービルに分乗してゴー。残雪の雪原をスノーモービルで突っ走る實さんの顔は、定年後の人生の人とはとうてい思えない若々しさだった。
どぶろくを抱へて座すも春の旅
千恵子
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