都城の梅農家で農園めしを楽しむ
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作成日時 : 2008/04/17 07:47
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梅酒の炭酸割りがおいしい季節になった。梅酒ブームのおかげで、日本酒やみりんの蔵元まで梅酒戦線に参入しているので、うちにも何種類かあるし、自家製もちゃんとつくっている。梅の色と手触りで初夏を実感したくて自家製を仕込むのだけど、結局は飲みきれずに、さまざまな梅酒がたまってしまうのだ。
今夜はどの梅酒にしようかと思案すると、最終的には都城のびんに手がのびる。宮崎県都城の梅を都城の焼酎で漬けたもので、こっくりと深みのある味と、杏仁豆腐にも似た爽やかな香りが、わたし好みなのだ。おおげさでなく、一口飲むと桃源郷にトリップしてしまう。
独特のうまみは、材料の梅のおかげ。半世紀の間、まったく農薬を使わずに育てた梅の木の実の、それも種だけを漬けた特製梅酒だからである。じつをいうと、この農園=紅梅園は梅干しと梅肉エキスを売り物にしていて、梅肉エキスづくりの製造工程で残った種を焼酎漬けにしているのである。
梅干し好きならみなさんご存じのように、梅の種を割ると「天神さま」が収まっている。正確にいうと、このしなやかな食感の平べったいものがほんとうの種子。仁といい、これを包んでいるかたい部分は種子を取り巻く核である。
仁はいい香りがするうえ、体にいい成分をたっぷり含んでいる。そこで、紅梅園の女あるじは、丹精して育てた梅のいのちをすべて生かそうと、種だけの梅リキュールを仕込むのだ。そしてその一本をわたしは頂戴しているというわけ。うらやましく思う方も多いだろうが、酒税法によって販売はできない。
宮崎県都城市は、現知事の故郷としてすっかり有名になったが、観光で訪れる人はあまりいない。宮崎空港、鹿児島空港のどちらからも車で1時間半ぐらいかかるが、出かけるだけの値打ちは充分ある。
霧島山麓の盆地のおへその位置にあたり、農産物がおいしい。鹿児島県境に近いので日向(ひゅうが)、薩摩両方の風土性が混在し、しかもどちらかというと薩摩ぶりが強いという不思議な立地が魅力的である。といって、青山や原宿にもありそうなブティックやカフェもあり、働いている女性たちのおしゃれ感覚も東京と遜色ない。そのうえ元気さでは東京に数段まさるのだから、うれしくなる。
江戸時代の都城には薩摩藩の支藩が置かれていた。西南戦争のときには旧薩摩藩領から逃れてきた人も多かった。徳重紅梅園の女あるじ徳重文子さん一族もそうで、医者を家業としながら椿油づくりも行なっていたそうだ。
こんな環境のもと、文子さんは昭和初期に誕生したのだが、生まれつき病弱だったため、両親は自家製の梅干しや梅肉エキスを彼女に食べさせて、体力を養ったのだという。その経験が、梅を文子さんの人生の伴侶にさせたらしい。二人の子を抱えてクリーニング店や牧場経営で苦労していた時代を、いつか梅園を持とうという夢を持ち続けたおかげで乗りきることができ、四十代を迎えて、自園自製による梅干しと梅肉エキスメーカーに転身した。現在は、八十歳が目の前という年齢だが、現役ぱりぱりである。
わたしが梅干しのおいしさに惹かれ、文子さんを訪ねたのは十数年前のこと。
びっくりしたのは、梅の木が幹も枝もたくましくて勢いがあったこと。観光梅園の梅とはまったく別次元のものだった。彼女のもっとも愛する梅は鶯宿梅種。うまみ、酸味を兼ね備えているうえ、肉厚なところが梅干しの原料にぴったりなのだ。たっぷりいつまでもしゃぶれるからである。
この鶯宿梅の梅の根元には苔がびっしり生えていて、木の下にははこべなどの野草が自由奔放に繁っている。木に近づくと、足元の地面はゆらゆらと揺れた。地震ではない。土が生きているから、やわらかいのだ。文子さんは、
「自分の子供時代と同じように、堆肥をしっかり与え、剪定をきっちりするだけの農法を続けているんですよ。農薬なんか使わないから、土の中には微生物がいっぱいうごめいている。土が呼吸しているんです。だから、土はねばらずにさらさら。ほーら」
と、長さ1メートルほどの梅の枝を地面に突き刺してみせた。と、枝は引き込まれるように大地にするすると入っていく。それほどに土がやわらかいのだ。ずいぶん各地の有機農業家を訪ねているがこんな畑は初めてだった。
徳重さんの梅園はいつ訪ねてもリフレッシュできる。18世紀のフランス王妃マリー・アントワネットはベルサイユ宮殿の豪華な生活に飽きて、離宮のプチトリアノン宮殿に農場をつくらせ、農園ライフを楽しんだというけれど、わたしには文子さんの梅園があるのだ。
梅園に着いたら即、ジャケットを脱ぎ捨て、木綿の服に着替えて麦わら帽子をかぶって梅園を歩き回る。そして、土の匂いをかぎながらキャベツやカボチャを収穫し、生み立て卵を集める。梅だけでなく、野菜から卵まで日々の食べものはすべて自給するのが文子さんの流儀だから、菜園もしっかり完備しているのだ。
彼女を訪問することは、わたしにとってはすなわち田舎暮らしを体験することなのだ。一方、文子さんやスタッフにとっては、わたしから最新の東京情報や全国の生産者や食べものの話をたっぷり聞ける。どちらにとってもいい時間なのである。
今年も、紅梅園から花見の誘いがきた。例年、梅のお花見会をするのだが、今年は女性スタッフが入ったこともあり、いつにもまして料理に力を入れているらしい。会場は鹿児島県の財部町にある第二農園とのことなので、鹿児島空港から向かうことにした。
あたりはしーんと静まりかえっているのに、突然、大きな袋に詰めさつま芋を売っていたりするのが鹿児島の楽しいところ。茶畑やたばこ畑を抜け、財部町に近づくと、「お花見 紅梅園←」という案内板がつぎつぎに現れた。この日のための手づくり看板である。リキが入っているのだ。
到着すると、梅はちょうど満開。一輪一輪に花の精がみなぎっていて、鼻をくんくんさせると都会の汚れがまっさらに浄化されていく。草原に設えられた席にも、ごちそうの花が咲いていた。
がね天という薩摩風かき揚げ。お煮染め。薩摩地鶏や里芋、ごぼう、にんじんが入った薩摩風ピラフの「ずし」、野菜スティックの味噌ディップ、なます、白和え、チーズケーキ、宮崎牛のローストビーフなどなど。そして飲みものは、地元の客が持ち込んだ手づくりのどぶろくと、宮崎茶や鹿児島茶。もちろん焼酎もある。
ずしは、都城の郷土食で、しっかり食べてしっかり仕事をこなそうという日につくる料理だそうな。一口大に切った鶏肉を大鍋で炒め、そこに野菜いろいろを加え、米も入れて醤油味をつけて炊き上げる。炒め油に自家製椿油を用い、水加減を多めにしてやわらかめに仕上げるのが文子風である。
わたしが注目したのは椿油。かつての都城ではどの家も椿の木を植えていて、お年寄りが実を拾い集め、男衆が圧搾式の手搾り機で油をとり、女たちは料理に肌や髪の手入れに用いた。その伝統を守り伝えていきたいと、文子さんは集落のおばあさんたちが集めた椿の実を買い取り、昔ながらの手法で無添加の油を搾っているのである。
椿油を吸い込んでふっくらジューシーに炊き上がったずしは、黄金色に美しく輝いているので、食べているうちに自分の身体がそのまま金ぴかの仏像に変身していく錯覚におちいる。もちろん、メッキではなく純金の仏さま。我ながらありがたい気分になり、柔和な顔になっていく。そんなわたしに、文子さんがどぶろくのコップをぐいっと差し出した。
「山あり谷ありの人生でしたけど、梅の花を見ると心の憂さがぱあっーと晴れる。そして、花のあとに訪れる実りが楽しみになって、がんばれました」
と、ほほえんだ。そんな文子さんを地元の男性陣がにこにこと見守っている。中年、老年、青年、現役、隠居、学生と、年代も境遇もさまざまだけど、誰もが薩摩隼人の末裔たちである。男性至上主義者であるはずの面々が、時代に流されず、梅を愛し梅を信じる道をマイペースで歩んできた女性を敬愛のまなざしで見つめているとは……。この日のどんなごちそうよりもすばらしい光景だった。
梅の実の天神さまに合掌す
青梅の一粒ごとのいのちかな
千恵子
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