ごはんの旅人・向笠千恵子の一食一会

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奥久慈の凍みもの紀行──大子の凍みもち

<<   作成日時 : 2008/03/20 07:51   >>

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 凍みこんにゃくのきんぴら、白和え、煮しめ……。凍みこん尽くし献立をごちそうになったあと、元の姿を反芻してみようと、わたしはこんにゃく干し場へ戻った。先ほどと同じ形のまま板こんにゃくの薄切りが敷きつめられている。天日と北風で凍結乾燥させているのである。風が出てきたのか、目の前の白い世界が小さくかさこそと音を立てていた。だいぶ乾いてきたのだろう。
 すぐに邪念のおきるのがわたしの困ったところ。今度はそば屋に行きたくなった。奥久慈は「常陸秋そば」と呼ばれるそば産地でもある。常陸秋そばとは、旧金砂郷町の在来種から選抜された優良種のそばで、香り、甘み、風味にすぐれ、各地のそば職人からひっぱりだこの逸品。そのそば粉を使う慈久庵という店が常陸太田市の天下野(けがの)町にあるのだ。常陸太田市は大子町の南隣に位置し、水戸黄門ゆかりの西山荘や前述の金砂郷のあるところ。
 慈久庵という屋号を聞けば、そば好きならうなずく人も多いはず。店主は東京・南阿佐ケ谷で手打ちそば屋を営み、石臼挽き自家製粉で評判をとっていた方。2001年から故郷の常陸太田に戻り、焼き畑の常陸秋そば栽培から始めてそば道の探求に励んでいるらしい。手打ちそば屋の主人は概してマニアックだが、かなり本格的なタイプのようだ。
 大子から461号線を下れば常陸太田は近い。竜神峡にかかる大吊り橋方向に進むと、イタリアの農家民宿のようなボディに茅葺き屋根を乗せた、不思議な和伊合体の建物が見えてきた。
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 この茅葺き屋根は、兜を模した兜造り様式かと思われるユニークなフォルムで、てっぺんには雑草が伸び放題。普通なら刈り取るところを自然に任せたままで、それがまた建物に似合っているのだから、にくい。
 ドアを押すと、インテリアにもびっくり。石臼や製粉機が飾られているのでそば屋とはわかるものの、一見すると修道院と見まがうばかり。席に座ると、店主らしき男性がやってきて、注文をきくと静かに引き下がり、再びしーん。なにもかも一人でやっているのだろう。
 ちょうど客がきれたところらしく、広い空間を独占できた。窓辺に立つと眼下に里山が広がっている。この地域はかつては水府村といい、凍みこんにゃくの栗田さんが製造法を習いに通ったのもこの周辺だった。昔は凍みこんにゃくを一面に干す銀世界が広がっていたことだろう。こんな美しい故郷があって、しかもそこが最高級のそば粉産地であったなら、そば屋ならずとも東京から帰ってきたくなるはずだ。
 せいろそばが運ばれてきた。蕎麦殻が黒くぽつぽつ透けてみえるグレーの細打ちそばで、ほどほどに量もあって、ゆったりしていながら端正なたたずまい。そばつゆにはかつおのうまみがしっかり出ていて、しかもそばの引き立て役に徹しているので、とてものどかな印象。つゆをちょんとつけて口に運ぶと、いい香りとともに、しなやかにさらりと喉に落ちていった。
 主人によると、素朴さと都会的な洗練を共存させたいので、そば粉95に対して小麦粉5、つまりそば粉の五分量ほどの小麦粉をつなぎにして打っているとか。また、秋に穫れた新そばは寒中になると甘みが増して味が深くなるため、今頃がちょうどおいしくなる時季だそうな。と聞いて、せいろのあとにあつあつの鴨南蛮を頼んでしまった。

 食後は長さ本州一という竜神大吊り橋を渡ってみたかったが、まだ次が待っている。再び大子へ引き返した。
 目指すは奥久慈の奥の奥の外大野地区。道に迷ってしまい、いちど県境を越えて福島に入ってから茨城にUターンしてようやく訪ねあてた。民家は並んでいるのだが、道を尋ねようにも人けがなく、牛が小屋で草を食べているだけという集落である。
 お目当ては凍みもち。この地域には奥久慈の味研究会という郷土料理の伝承にいそしむ女性グループがあり、リーダーの斉藤キヌ子さんは凍みもちづくりの名人なのである。評判も上々で、最近は注文をうけて水戸や県外まで発送しているそうだ。
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 凍みもちは茨城県北にあるこのエリアの大切な保存食。出荷できない屑米をベースに、よもぎと山ごぼうの葉を加えてもちにつき、いったん水に浸してから屋外で凍結乾燥させる。凍みこんにゃくと同じく、夜間の冷え込みがきびしく、しかも雪が降らない奥久慈ならではの特産食材である。
 斉藤さんの家は集落を見渡す高台にあった。軒には干し大根や干し柿が吊るされ、土間のかまどでは鉄瓶がしゅんしゅんと湯気を上げている。日本昔ばなしに出てきそうな時代離れした家なのだが、奥さんの斉藤さんはシニア世代とは思えない若々しさ。赤と白のギンガムチェックのブルゾンがよく似合い、肌も声もぴんとしている。
 東京で暮らしていると、農村の女性を昭和30年代のようなイメージに思い込みがちだが、現代の地方女性は着るものもヘアスタイルも都会と同じだし、斉藤さんのように地域活性化を担う活動に励む方は、都会人よりよっぽど生き生きしている。ふだんの食べものも地元食材による手づくりだから安心安全そのもの。健康面でも、美容面でも、体にいいことばかりなのだ。
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 さて、凍みもちによもぎと山ごぼうの葉を入れるのは奥久慈ならではの特徴。よもぎは風味付けと色付けのためだが、山ごぼうの葉はつなぎとして欠かせないのだ。実は、凍みもちによく似た「氷餅」が長野県諏訪地方や大町周辺でつくられている。だが、長野の氷餅はもちをそのまま凍結乾燥させるか、型に米粉の液を詰めて凍結乾燥させるだけ。山ごぼうの葉入りのこの手の干しもちは、わたしは奥久慈で初めて知った。
 なお、山ごぼうの葉は奥信濃・飯山の富倉そばのつなぎに使うオオヤマボクチ(オヤマボクチともいう)と同種と思われる。オオヤマボクチは乾燥させて揉みほぐすともぐさ状の繊維がとれる。これをつなぎにしてそばを打つと、腰のあるそばができるのである。
 先祖の遺影の額がずらりと飾られた茶の間でこたつにあたりながら、斉藤さんが凍みもちの話をしてくれた。このあたりでは山ごぼうの葉を「ごぼうっぱ」と呼び、山から採ってきては茹でて冷凍しておくそうだ。よもぎの葉も同様にして保存する。
 寒にはいって冷え込みの厳しくなると、いよいよ製造開始。もち米を蒸して、うるち米粉を熱湯で練ったもの、ごぼうっぱ、よもぎを加えてもちに搗く。このもちをのして切り分け、藁で七個ずつ結んで、水をかけ、凍結乾燥させて水分を飛ばすのである。この間に割れたり、ひび割れしないのは、「ごぼうっぱ」がつなぎの役をしっかりはたしているからなのだ。なお、よもぎと山ごぼうの濃い緑色がもちに移って、ダークグリーンのシックな色に仕上がってくれるのも、自然の妙技といえるだろう。
 凍みもちを食べるときは、まず水でもどす。そのあとの調理法は自由である。斉藤さんのイチオシは大福。もどしたもちを蒸してやわらかくし、それを生地にしてあんこを包み、べたつかないようにもち取り粉をまぶせばできあがり。
 あんこのたっぷり詰まった凍みもち大福からは、ぷーんと鼻をくすぐる山の香り。ごぼうっぱ入りの証だ。よもぎの匂いも一緒になって、一足早く春を告げてくる。がぶりとやると、たくましいもっちり感。生地自体に粘りがあり、そこにあんこがねっとり甘くからんでくるから、五感が思わずうきうきしてくるのだ。
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 凍みもちは揚げたり、磯辺焼きにしたり、バターで焼いてもおいしく、キャンプや登山の携帯食などに重宝するそうな。フリーズドライ食品の元祖そのものなのだから、たしかに利用範囲は広そうだ。温故知新の気持ちで伝統食品や郷土料理を見直すと、現代の食生活はもっともっと豊かにふくらむはずだ。
 斉藤さんは水戸土産で知られる梅味の寒天ゼリー・のし梅や、ゆず風味いっぱいのゆず皮の黄金煮などたくさんのレパートリーをもっているので、旬の食材を生かした料理やお菓子づくりにいつも追われているし、子牛の飼育や米づくりの手伝いもしなくてはならない。そのうえ、農閑期である厳寒の季節に凍みもちづくりがあるわけだから、ほんとに大変だ。でも、
「わたしの保存食を遠くから注文してくれるお客さんがいます。だからがんばれます」
 と、斉藤さんは楽しげだった。
 最後に、袋田温泉のホテル・思い出浪漫館で温泉につかり、オーナー自慢の自家製ショコラとおいしいコーヒーで一息入れてから水戸経由で東京へ帰った。たいへんな日帰り旅行であった。
 帰りのみちみち、わたしは斉藤さんのやわらかな微笑を何回も思い出していた。成長した子供たちはマチへ出ていき、いまはご主人と二人だけの暮らし。でも、昔は家族のために一生懸命つくった保存食を、今はマチの人たちが待っていてくれる──だから、斉藤さんは静まりかえったムラに暮らしながらも、張りのある表情で充実した暮らしを送れるのだ。そう思ったとたん、凍みものめぐりの一日に幸福印のエンディング・マークが出たような気になった。(この項終わり)

凍みもちの草の匂いや春きざす
                    千恵子

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
思いがけずご一緒できて光栄でした。
一度行って見たいと思っていた「慈久庵」は、想像どうりの美味しさと、ゆったりとした空間で日頃の忙しさを忘れさせてくれました。
次回は、想いで浪漫館にゆっくりと泊まりに来てください。奥久慈の軍鶏を食べながら一杯やりましょう!
JUN
2008/06/06 15:46

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