ごはんの旅人・向笠千恵子の一食一会

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越前冬の旅──永平寺から丸岡町竹田の里へ

<<   作成日時 : 2007/12/06 08:04   >>

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 永平寺では夕食を薬石(やくせき)、朝食を小食、昼食を中食と呼ぶ。これらすべての食事に五観の偈(げ)がセットになっている。その日も薬石に座ったわれわれ参籠体験者に、引率の僧が「箸袋の裏に書かれた五つを読み上げましょう」と、言った。
 来た来た、五観の偈(げ)だ。一座に緊張が走る。と、お坊さんが「せいの!」と音頭をとるはずもないが、そのような雰囲気のもと、みんなで粛々と読み進めたのは次のようなこと。
 一には功の多少を計り、彼の来所を量る。二には……、三には……、四にはまさに良薬を事とするは……、五には成道のための故にいまこの食を受く。(以下略)
 要は目の前の食べものが自分に提供されるまでの自然の恵みと関係する人々の労働を思いやり、自分がこの料理をいただくのに値するかどうかを考えるのが大切だ、ということ。現代の食育テーマとなっていることが言い尽くされているし、一言一言を噛みしめるとなるほど、ほんとだなと思うことばかり。食事の支度が動く座禅なら、食べる行為も修行なのである。
 不思議なもので、五観の偈(げ)を唱えたあとは、献立のごま豆腐や煮物がかつてないほど深い味に感じられたし、ありがたい滋味に思えた。そのせいで食後に、座禅、法話と再びあわただしく続いたプログラムもなんとかこなし、晩9時の消灯タイムにはバタングー。夜中、肌寒く目が冷めるまで熟睡してしまった。

 翌朝、まだ暗い午前3時20分に起こされた。また急げや急げ。法話を聞き、僧たちが集合しての読経を拝聴し、その合間に広い永平寺のすみずみまで拝観させてもらう。廊下も杉の老樹が並ぶ境内も森閑としているのに、堂内には気が満ち満ちていて、それが体内にチャージされ、入れ代わりに毒素が抜けていく。ありがたいやらもったいないやら。
 その後、三好典座老師から材料を無駄なく使いきり、化学調味料なんぞは用いずに天然の滋味を生かしているという調理モットーをうかがう。まったく同感だし、安心安全を第一とする時代の食の流れを禅寺では当たり前のこととして昔から実践してきたことに目をみはる。

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 僧たちの朝ごはんは粥と、梅干しなのだが、にわか参籠者向け朝食は夕食のとほぼ同じでご飯、わかめと油揚げの味噌汁のほかに、高野豆腐と生麸の煮物、椎茸とにんじんの白和え、佃煮、漬け物などが付き、日本の和朝食の精進版の感。大豆たんぱくや小麦粉たんぱくからできている大豆製品やお麸は寺で生まれたし、干し椎茸などの乾物や味噌、醤油が中国から帰朝した禅僧ゆかりの調味料なのを思いだす。和食の源のかなりの部分は、僧堂から発祥しているのである。
 食後は境内を散策しよう……と思ったが、そうは問屋がおろさない。実はこの旅、昨年から始めた米、味噌、醤油に代表される日本人の大切な食材や調味料を通じて日本の食をみんなと勉強し、マチとムラの交流をはかろうという「こめみそしょうゆアカデミー」の仲間と出かけた。そのため朝食を終える時間を見はからって、坂井市丸岡町有志で結成する「愛プロジェクト」のみなさんが山門下でバスを仕立てて待っていてくれたのだ。
 坂井市は福井の県北に位置し、西は東尋坊のある海岸部から東は永平寺町に隣接する山側まで東西に広がる地域で、その日向かったのは最も山深い竹田地区。約100所帯が自然と寄り添った暮らしをしている。

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 途中、5世紀につくられた六呂瀬山古墳跡の石積みモニュメントを眺め、越の国の往時に思いをはせる。そして着いたのは「愛プロジェクト」メンバーの一人、油揚げ屋の谷口誠さんの店・谷口屋。「竹田の油揚げ」として県内では有名で、四角な座布団形の2センチ厚さの油揚げは大型で知られる新潟・栃尾の油揚げといい勝負のボリューム感があり、香ばしくて密な食感がすばらしい。こんがり深い色になるまで揚げてあり、刻みねぎと醤油で食べると、一枚のつもりがもう一枚ほしくなる。
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 だが、次に越前そばが待っているので公民館へ急ぐ。近年、農漁村のおかあさんたちが自分たちのつくった作物を加工し、それをマチの人に提供しての地域活性化が盛んだが、ここ竹田でも生活改善グループの6名がそばや山菜料理を目玉に活動している。
 地元の石臼びきそば粉を使ってそば打ち指導をうけ、栗拾いやオクラなどの野菜収穫をしたあとは、辛味大根のおろしとねぎを薬味に冷たいつゆをかけてそばをつるつる。浅い皿にゆでたそばを盛り、少量のつゆですすり込むようにして食べるのが越前そばの醍醐味で、太めに打ったそばが喉を通るときに山里の冬の気配を実感した。
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 もう満腹なのに今度は県内最古の民家といわれる千古の家こと坪川家住宅へ。中世末期築の茅葺きの家だが、妻入り様式の前面に破風を大きくとった屋根がユニークで、これを見るだけでも足を運んだ価値がある。茅の布団をまとった巨人がむっくり起き上がったような屋根である。都の武士が移り住んだそうで、普通の茅葺き家とは風格がまるで違う。
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 囲炉裏で炭の爆ぜる音、匂いをお伴にここで本格的な昼ごはん。生活改善グループのみなさんがぜんまいの白和え、山菜おこわ、竹田の油揚げを焼いて和え衣にしたみょうがのいなり和え、のっぺいに似ているくずまわしという葛でとろみをつけた汁物、漬け物、そして再び手打ちそばを運んできてくださったのだ。うれしいことに「愛プロジェクト」には久保田酒造という蔵元さんもいて、地酒をふるまってくださった。

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 そばをたぐりつ、おこわをほおばりつのうちに丸岡が日本一短い手紙コンクール開催の土地なのを思いだした。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」で知られる手紙を残したのは江戸時代、家康の忠臣だった本多作左衛門。陣中から妻に送った手紙なのだ。お仙とは後に丸岡城主となった本多成重の幼名仙千代のこと。さて、永平寺から竹田の里までのあわただしくも充実した旅を、どんな手紙にまとめたらいいのだろう。

冬暁典座老師の笑み給ふ
あぶらげを藁にからげて十二月

                    千恵子

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