北前船ゆかりの味──松前、江差紀行 その3
<<
作成日時 : 2007/10/03 21:35
>>
トラックバック 0 / コメント 0
北前船は音楽も運んだ。江差追分である。しかし、ルーツは中山道の信州・追分宿あたりの馬方の歌だったらしい。それを北前船が江差に伝え、「かもめの鳴く音に ふと目をさまし あれが蝦夷地の 山かいな……」の名調子が生まれた。
それがさらに加賀の山中温泉にUターンした。名物の山中節である。客との別れを湯女がせつせつと歌ったもので、もともとは温泉に来た北前船の船頭たちがおしえた江差追分──その山中バージョンといったところのようだ。山中は山の中だが、日本海にも近い。いかにもうなずける話ではないか。
さて、上ノ国町のそば屋から江差は意外に近かった。最初に訪ねたのは、高台にある江差町郷土資料館。看板に旧檜山爾志郡役所(ひやまにしぐんやくしょ)とものものしく墨書きされているが、明治の洋館で、二階のベランダからはかもめ島がよく見える。かもめ島といっても、海辺から突き出した小さな半島である。この入り江が北前船の停泊地だった。松前藩の交易拠点であり、にしん漁で栄えに栄えた江差の賑わいは、「江差の五月は江戸にもない」と讃えられたほどだった。にしんは春告魚の異名があるように春になると海辺に群れをなしてやってくる。その頃はちょうど桜どきで、江差は春らんまんだったのだ。
出船入り船のにぎわいを想像していると、学芸員の宮原浩さんに声をかけられた。
「かもめ島の入り口に、江差追分名人が住んでいるんですよ。歌の文句どおり、かもめの鳴く音を聞きながら暮らしてらっしゃる」
そう教えてくれた宮原さんは、先代の小さん師匠をハンサムにしたような和風男児。江差の桃太郎のようといったら怒られるかしら。この地方の人々は本当に明るい。気持ちも開けている。北前船は食や民謡だけでなく、そういう気分も運んできたのだろう。つまり、宮原さんはそいう快男児である
資料館には広島・尾道産の酢の瓶や福井産の笏谷石(建物の基礎石に使用)など北前船で運ばれてきた生活感のある品々が展示されている。人間というものは生まれ故郷のライフスタイルをどこに行っても忘れられないんだな、わたしはしみじみ実感した。
回船問屋であり網元だった「横山家」にも北前船の遺品があふれていた。北海道文化財に指定された築160 年の建物で、奥には漁船を収納できる舟屋造りである。現在の横山家はにしん御殿を活用した資料館ではあるが、当主の亡き母上が復元したにしんそばを提供することでも知られている。座敷で味わえるのだ。
その母上というのは、横山家の向かい側の姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)の娘さんで、郷土愛が人一倍つよかったそうな。京都のにしんそばばかりが有名なのに発奮し、地元の身欠きにしんで江差風にしんそばを仕立てのだ。姥神大神宮は北海道最古の神社で、現代でも江差や松前の漁業関係者はじめ信仰の厚いお宮である。その血筋をひく料理名人が丹精しただけに、横山家のにしんそばは、上品さのうちに北の海の豊饒な個性を秘めていた。
にしんそばは汁そば仕立てで、じっくり炊いた身欠きにしんが上に乗り、刻みねぎと海苔がたっぷりかかっている。箸でさわると、にしんの身がはらりっとほどける。いい具合。そばつゆを吸い込んだ一切れを口に入れると、浜の情景と、江差追分の一節が心に浮かんだ。
夕暮れ近い町を歩き、江差名物・筒型容器入り五勝手屋羊羹を買う。底から押し出しては筒の先に付いている糸で切って食べる。北海道で初めて小豆づくりが始まったというだけに、江差は羊羹自慢の町でもある。
その先の商店街ではテントをはって、町内の人々が酒盛り真っ最中だった。餅つきも始まっている。テントの一番奥には豪華な山車が置かれ、提灯の灯がきらめいていた。実は、江差は明日から姥神大神宮の祭だったのだ。祭と美味を一緒に味わえるとは、これは果報としかいいようがない。
江差秋追分節の寂び寂びと
秋夕べかもめ鳴くのも江差かな
千恵子
|