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軽井沢追分宿・中山道69次資料館で憩う
鉄道の起点は東京駅だが、道路の起点は日本橋で、橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれている。
わたしはその日本橋の町の一角の育ちで、仕事がら取材旅行がとても多い。当然、鉄道にも道路にもずいぶんお世話になっているわけだが、日本橋起点の街道には決してくわしくない。
江戸時代に整備された五街道は東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道で、軽井沢の友人たちと食探訪をはじめてからは、中山道との縁が深くなっている。
中山道は日本橋から板橋を経て、埼玉県から長野県南部を通り、諏訪から木曽、
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2008/07/03 08:12 |
信州望月の職人館で食養そば料理を味わう
大きな駅から離れ、高速のインターから遠ざかるにつれ、もともとの日本の風景が顔をのぞかせはじめる。長野県佐久市春日(旧北佐久郡望月町春日)もそんな“ふるさと”のひとつ。ざっといえば、浅間山と蓼科山の真ん中あたりの八ヶ岳北麓に位置し、中山道の名残りを伝える望月宿や茂田井宿の南にある隠れ里である。
このあたりは、なだらかな里山に囲まれた1〜2キロ四方ほどの小さな盆地で、田んぼのなかに集落のかたまりが点在している。そんななんでもない風景を、それも初めて見たのになつかしく思えるようだったら、あなたの
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2008/06/19 08:04 |
王道フレンチと農家料理でまほろばの味を満喫
大和郡山という地名から連想するものはいろいろ。まずは金魚が有名だけど、わたしは食べものばかり思い出す。町名からして豆腐町、魚町、雑穀町、茶町といったおいしそうな名前がずらりと並んでいるためだ。これらは豊臣秀吉の弟・秀長がつくった業種別町割り制度の名残りだという。
このうちの豆腐町には、全国の安心安全な食品を揃えている「良い食品處さとなか」という一徹な店があり、そこで聞きこんだのが「ル・ベンケイ」という店名。フランスの三つ星に負けない味で、オーナーシェフは奈良のスローフード運動のリーダーらし
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2008/06/05 07:56 |
奈良スローフード旅は大和肉鶏の釜飯から
「倭は国のまほろば」とはよく聞くが、21世紀には「奈良はまほろばの食の郷」という最新もじりフレーズが生まれている。神社仏閣ばかりと思われがちだが、奈良は食においても宝庫なのである。
実際、食にフォーカスしてみると、たしかに奈良は日本のスローフードの元祖の都である。わたしがそれを最初に実感したのは、西の京にある奈良パークホテルに泊まったとき。「天平の宴」を再現したという1300年前のメニューは目新しいばかりでなく、もう一度食べたくなる料理ばかりだった。
雅楽が奏でられ、灯明のあかりが照らす
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2008/05/22 08:10 |
棚田の里・新潟県高根へ味噌仕込みの旅
こめみそしょうゆアカデミー、略して「こみしょう」という活動をしている。米、味噌、醤油という伝統食材を手がかりに、日本の食を再確認しようという集まりで、生産者を招いてお話を聞くほか、自分たちで現地へ出かけてマチとムラの交流を実践している。これを「おでかけこみしょう」と称する。連載の越前冬の旅で紹介した福井の永平寺参禅体験や、坂井市の竹田の里で郷土料理を教わったのもそのツアーのひとつ。
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2008/05/08 07:45 |
都城の梅農家で農園めしを楽しむ
梅酒の炭酸割りがおいしい季節になった。梅酒ブームのおかげで、日本酒やみりんの蔵元まで梅酒戦線に参入しているので、うちにも何種類かあるし、自家製もちゃんとつくっている。梅の色と手触りで初夏を実感したくて自家製を仕込むのだけど、結局は飲みきれずに、さまざまな梅酒がたまってしまうのだ。
今夜はどの梅酒にしようかと思案すると、最終的には都城のびんに手がのびる。宮崎県都城の梅を都城の焼酎で漬けたもので、こっくりと深みのある味と、杏仁豆腐にも似た爽やかな香りが、わたし好みなのだ。おおげさでなく、一口飲
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2008/04/17 07:47 |
陸前高田・醤油蔵元のまかない昼めしは家産家消の味
わかめをよく食べる地域にはお達者な人が多い。わたしたちがいつも目にするわかめは、塩蔵物や乾物なのでどうしても地味めで印象がやや薄い。でも実際には、わかめは、ヨード、ミネラル、食物繊維が豊富だし、アルギン酸やフコイダンといったぬめり成分には血液をさらさらさせる効果があるという。つまり、すばらしい健康食品なのだ。
なお、わかめもご多分にもれず、天然ものは希少になり、そのぶん養殖技術が進み、それなりに良質なものがとれる。
また、わかめは漢字では若布とか若芽と書くが、わたしとしては、効果のほう
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2008/04/03 07:52 |
奥久慈の凍みもの紀行──大子の凍みもち
凍みこんにゃくのきんぴら、白和え、煮しめ……。凍みこん尽くし献立をごちそうになったあと、元の姿を反芻してみようと、わたしはこんにゃく干し場へ戻った。先ほどと同じ形のまま板こんにゃくの薄切りが敷きつめられている。天日と北風で凍結乾燥させているのである。風が出てきたのか、目の前の白い世界が小さくかさこそと音を立てていた。だいぶ乾いてきたのだろう。
すぐに邪念のおきるのがわたしの困ったところ。今度はそば屋に行きたくなった。奥久慈は「常陸秋そば」と呼ばれるそば産地でもある。常陸秋そばとは、旧金砂郷
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2008/03/20 07:51 |
奥久慈の凍みもの紀行──大子の凍みこんにゃく
こんにゃくは「砂払い」といわれるように、お腹の掃除に活躍する。グルコマンナンという体内で消化しない多糖類のおかげであり、繊維質と同様な効能で便秘に効くし、ノンカロリーのためダイエット効果もある。
こんにゃくはインドシナ半島原産といわれ、日本へは古くから伝わっていたが、栽培されるようになったのは江戸時代初期かららしい。元来は生のこんにゃく芋をすりおろして固める製法だったが、芋が製粉されるようになってからは生産量が飛躍的に増えた。
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2008/03/06 07:56 |
加賀の真鴨を治部鍋で──大聖寺名物・鴨の治部鍋
坂網猟で生け捕りにされた鴨の運命やいかにと、ベテラン猟師の浜坂加寿夫さんにうかがった。やっぱり、地元・大聖寺の鴨料理屋がいまかいまかと待ち構えていて、即買い上げということになるそうだ。片野鴨池に飛来するマガモは年々減ってきているから、猟師の腕の良し悪しにかかわらず収獲も減少気味である。それでいてマガモを食べたい人間は増える一方だから、獲物は引っ張りだこなのだ。
なお、大聖寺の鴨猟師はふだんの生計の道は別にもっている。猟の解禁期間中だけ、夕方になると片野鴨池を見下ろすポイントまで山道を登り、
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2008/02/21 08:22 |
加賀の真鴨を治部鍋で──大聖寺・片野の鴨池の坂網猟
下町歩きの腹ごしらえといえば、そば、うなぎ、すし、どじょうがおなじみだが、隠れた美味なら、合鴨(アイガモ)。わたしのひいきは両国橋のたもと近くの東日本橋にある鳥安。合鴨とねぎをオイル焼きにしただけの料理だが、皮から溶けでた脂で濃い紅色の肉がじゅわじゅわっと焼けるさまは、思い出すだけでよだれがこみあげてくる。
最近、鴨料理がちょっと気になっている。合鴨水稲同時作(合鴨農法)を広めた福岡県桂川町の古野隆雄さんと対談したとき、各地の鴨料理についてあらためて興味がわきあがってきたのだ。
古野さ
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2008/02/07 08:37 |
北前船ゆかりの飯ずし訪ねて小樽まで
発酵食品はいろいろ取材してきたが飯ずし(いずし)だけは手つかずだった。だが、米に関わる食べものについてまとめているうちに、米と発酵の両方にかかわる「飯ずし」というなれずしが無性に気になってきた。
手がかりをつかもうと、函館に飛んだのは去年の夏のこと。江戸時代の北前船が本州からなれずしを伝え、飯ずしはその北海道バージョンであり、拠点の一つが函館なのだ。現地に行って、もう一つの本場が小樽ということもわかった。北前船の寄港地の松前・江差から東へ向かえば函館だし、北上すれば小樽へ至る。本州からの人
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2008/01/24 03:55 |
比叡山から彦根の近江牛すき焼きで精進落とし
比叡山延暦寺に行ってきた。その前には戸隠神社や諏訪大社へ詣でたし、永平寺に参籠したのもつい最近のこと。大物クラスの神社仏閣だけでなく、わたしは社寺を見つけたら、必ずお参りする主義である。境内にただよう清潔感と緊張感が大好きなのだ。寺も神社も、元来そういうパワーがある土地に建てられるわけだし、現実としても、境内の鬱蒼とした木立がマイナスイオンを放ち心身を浄化してくれる。
延暦寺は空海のライバルだった最澄が1200年前に開いた古刹で、京都市街の北東の比叡山の上にある。また琵琶湖西岸からは、大津
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2008/01/10 06:30 |
大津・月心寺庵主さんの精進料理
月心寺の庵主さんがつくるごま豆腐がずっと気になっていた。かの「吉兆」創業者で日本料理を世界に知らしめた故湯木貞一さんがお墨付きを与えた味ということ以上に(湯木さん存命の頃の吉兆は、味、品格、しつらえすべて完璧だった……)、店主が庵主さんからおそわったという店のごま豆腐に「さすがほんまもんの味」とうなった経験ゆえである。そして、それ以来ずっと、師匠の村瀬明道尼のごま豆腐を食べる日を夢見ていたのだ。
ほんまもんの味とは、文字通りの意味で、明道尼はNHK朝の連続ドラマ『ほんまもん』のヒロインの
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2007/12/20 08:35 |
越前冬の旅──永平寺から丸岡町竹田の里へ
永平寺では夕食を薬石(やくせき)、朝食を小食、昼食を中食と呼ぶ。これらすべての食事に五観の偈(げ)がセットになっている。その日も薬石に座ったわれわれ参籠体験者に、引率の僧が「箸袋の裏に書かれた五つを読み上げましょう」と、言った。
来た来た、五観の偈(げ)だ。一座に緊張が走る。と、お坊さんが「せいの!」と音頭をとるはずもないが、そのような雰囲気のもと、みんなで粛々と読み進めたのは次のようなこと。
一には功の多少を計り、彼の来所を量る。二には……、三には……、四にはまさに良薬を事とするは
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2007/12/06 08:04 |
越前冬の旅──永平寺に泊まり、味わう
東京・西麻布に曹洞宗大本山永平寺の別院・長谷寺(ちょうこくじ)があり、都心とは思えない静寂さのなかで僧侶たちが修行している。
住職に話をうかがうと、曹洞宗では開祖・道元が『典座教訓』という本で「勉強のさまたげになるかのように思える日々の食事づくりこそが座禅や読経にひけをとらない立派な修行」と説いているそうだ。
禅と食事づくりの関係を、わたしは臨済宗の禅道場で実感したことがあるので、今度は曹洞宗の食事を体験したいと願っているのである。
曹洞宗は臨済宗より戒律が厳しいといわれる。それだ
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2007/11/15 07:38 |
信州おやき旅――小川村、生坂村編
次は西山地区。長野市西部の山間部に位置するための総称で、具体的には中条村、小川村、信州新町などを指す。土地の大半が急な傾斜地のため、米づくりはむずかしく、麦、豆、そばなどの産地になっている。そのおかげで粉食の文化が発達し、とくに囲炉裏で焼くおやきは日常食であった。
このおやきに着目し、小川村の前村長が地産地消の目玉にした。村に縄文遺跡があることから「縄文おやき」と名付けたり、復元した竪穴式住居の囲炉裏で伝統おやきづくりを体験できる第三セクターの会社をつくって大成功したのである。
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2007/11/01 06:38 |
信州おやき旅──善光寺編
この3〜4年、「米ぢから」という言い方で、米料理や米菓子の再発見について書いている。でも、不思議なことに“米もの”にはまればはまるほど、“小麦もの”のうどんやほうとうにも興味が深まっていく。米を陽とするなら、小麦は陰の関係で、どちらか一方だけに肩入れしても日本の食はわからないのだ。
歴史的にいうと、この国は米を税金の基準にして以来、あらゆる地面を田んぼとして開発してきた。だが、米の品種改良がすすんだ現代では想像もつかないけど、ふた昔前まではどんなにがんばっても米がつくれない地域があった。季
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2007/10/17 20:46 |
北前船ゆかりの味──松前、江差紀行 その3
北前船は音楽も運んだ。江差追分である。しかし、ルーツは中山道の信州・追分宿あたりの馬方の歌だったらしい。それを北前船が江差に伝え、「かもめの鳴く音に ふと目をさまし あれが蝦夷地の 山かいな……」の名調子が生まれた。
それがさらに加賀の山中温泉にUターンした。名物の山中節である。客との別れを湯女がせつせつと歌ったもので、もともとは温泉に来た北前船の船頭たちがおしえた江差追分──その山中バージョンといったところのようだ。山中は山の中だが、日本海にも近い。いかにもうなずける話ではないか。
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2007/10/03 21:35 |
北前船ゆかりの味──松前、江差紀行 その2
俳句の歳時記には「松前渡る」と「松前帰る」という季語がある。前者は夏、後者は秋で、文字どおり夏に蝦夷地・松前へ出稼ぎに行き、秋になって戻ることをいう。秋に帰ってくるのは、是が非でもふるさとの祭りに参加するためだ。「渡る」も「帰る」もいままでは読み飛ばしていた季語だが、今夏の旅以来、急にリアリティが出てきた。松前・江差は現代でも足の便がわるく、往時の人々の思いを実感できたからである。
松前・江差間の約七十キロは、本数の少ない路線バスしか移動手段がない。なのに、わたしは乗り遅れてしまった。松前
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2007/09/19 07:02 |